生協くまもと支援レポート

熊本地震への支援で派遣された職員のレポートです。

4月22日(金)店舗支援  4月22日物資運搬支援  4月21日 配達支援( 坂元職員)   21日配達支援( 堀田職員)   5月25日 応援メッセージを届けました

 

5月25日・センター・店舗職員からの「応援メッセージ」DVDを届けました

160525くまもと02.JPG5月25日(水)、生協コープかごしま無店舗事業本部の山口本部長が、益城町にある生協くまもとの熊本東支所・熊本事務所を訪問。生協コープかごしまの配送センターとお店の職員からの「応援メッセージ」DVDを、生協くまもと無店舗事業本部の髙見本部長に手渡しました。
160518生協くまもと応援ビデオレタ.jpgメッセージDVDは直接支援に参加できない生協コープかごしまのセンター・お店の職員から、「地域の組合員さんのために頑張っている生協くまもとの職員を応援したい」と製作したものです。
160525くまもと01.jpg贈呈の後、髙見本部長からは「まずは地震発生直後からの、生協コープかごしまをはじめコープ九州や日本生協連から多くの支援に感謝しています。おかげさまで、地震の翌日から組合員さんのところへの配達や安否確認に取り組むことができて、組合員さんから『生協さん来てくれたの!ありがとう』『生協さんは大丈夫だったの?』の声をたくさんいただきました。まだ余震があったり、車中泊や非難所から通勤する職員がいたり、避難されてて連絡がとれない組合員さんがいますが、通常とおりの配達やお店の営業に戻そうと全員で取り組んでいます」など状況をお話いただきました。
支所の壁には、
「先日の地震では、みんなが被災者である中、物資をいただきありがとうございました。うちの近所は道路も割れて、歩くのも危険な中でCO・OPのトラックで予定の日に配達に来られてびっくりしたのと、頼もしさに感動しました。まだ日常を取り戻せずにいますが、水のタンクと物資をいただき、本当に助かりました」「先日はバナナありがとうございました。昨日は非常食なども嬉しく感じました。みなさまも被災され大変でしょうが、思いやりの気持ちがあたたかくしてくれました」「**さーん!いつもお世話になってます!私たち家族は全員無事でした。**さん家はいかがでしたか?配達は大変かと思いますが、これからもよろしくお願いします!!」「生協さん・災害せっとありがとうございました。毎日非難所ボランティアをして買い物に行く時間もなく、周辺のお店も閉まったままです。本当にありがたかったです。大切に食べます!」などの組合員さんから寄せられた感謝の声が張り出されていました。
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160525くまもと04.jpgその後、支所周辺の被災と復興の状況を案内され、主要道路は復興したように見えるが、一本路地に入ると倒壊した家々がそのままの状態で残っているテレビニュースなどで報道されない様子を見ることができました【写真左~益城町の幹線道路から横の路地を見るとまだ】。
また再開している高速道路も、よく見ると段差やずれを応急的に補修している印象が否めません【写真右~路面は補修されているが、フェンス部分はたて横にずれたままの高速道路】。
生協コープかごしまでの募金活動は5月末でいったん終了しますが、商品の応援企画などでの支援も呼び掛ける予定です。

 

4月22日・店舗支援活動

店舗事業本部  小脇 冨紀由

4月22日(金)に、生協くまもとの春日店の支援に行きました。
お店の被害状況は、店内の農産側と中央のつなぎ目の天井が落ちていて、危険な状態でした。
私たちの作業は補修の為の商品移動と棚の移動、商品補充を行いました。
店舗は比較的安全な部分(3分の1程度)を使っての営業を行っていました。食品の大部分と雑貨は、来店された組合員さんの要望を聞いて、その商品を職員が店内に取りに行く対応を行っていました。この対応に応援者も手分けして行いました。
商品の補充は、可能な部分は対応できたと思いますが、まだまだたくさんの商品がバックヤードにはありました。
まだまだ大変です。水道水も濁った水が少し出る程度で大変困っている様子でした。店内のトイレも大は禁止で、外に設置してある仮設トイレを使用とのこと。夜は駐車場に車中泊をする皆さんが来るために、店頭にアクアクララが設置してありました(もちろん無料です)。

4月22日・物資輸送支援

人事教育課 日高隼人
無店舗事業本部 下柿元浩二

4月22日(金)の午前5時に鹿児島の本部を出発し、10時15分頃に生協くまもと旧熊本東支所に到着。ここはこの春支所移転のため空いおり、今回の地震で熊本県生協連支援物資センターになっていました。
医療生協からの支援物資を渡す下柿元職員(右)挨拶の後、鹿児島医療生協様からお預かりしました支援物資をお渡しました。
センターにはシーエックスカーゴの職員が物資の搬入や仕分け作業などを行っていました。シーエックスカーゴのみなさんはこのセンターの床に寝泊まりをしていました。センター自体もひび割れなど地震の被害にあっています

生協くまもとの平野国臣さんと避難所へ支援物資をお届けしました。平野さんは自宅が被災され、現在は奥様の実家に避難されており、前日に地震以来初めて入浴されたとのことでした。自宅の片づけは手つかずのまま支援活動を続けておられました。
物資のお届けについては、避難所のリストなどは無く、熊本市などから得た情報を元に連絡をし、支援の要求があった所にお届けするようです。
お届けした避難所と支援物資は以下の通りです。
・画図小学校:LLパン1200個
・画図団地(市営):LLパン504個
・江津団地(県営)第一集会室:LLパン252個、給水ふくろ15袋
・江津団地(県営)第二集会室:LLパン252個
・うまかよかなスタジアム:紙おむつ等要望のあった商品15種46,700点
・広安小学校:はぶらし1,080本、はみがき粉:192個、紙皿1800枚、ラップ30本、紙おむつ4,470枚、割り箸4,000膳

物資をトラックに積み込みます。(写真左が下柿元職員)避難所に到着すると、避難されている方(子どもさん含め)、ボランティアの方などが荷降ろしを手伝って下さいました。
また市役所の方が近くの避難所まで先導してくださりました。生協くまもとの平野さんは今後必要な物資の聞取りを行い、本部へ伝えていました。平野さんも市役所の方も避難所の方も「元気を出してがんばろうね」と声を掛け合っていました。
「今はお互いに気が張っているからいいけど、長引くとメンタル的な部分が心配ですね」と平野さんはおっしゃっていました。
街中のいたるところで被災の跡があり、給水車から水を運ぶ方々もいらっしゃいました。沢山の地域から支援活動の方々がきておられるということでした。一方で、県外からの空き巣狙いも多数来ているとのことでした。
一日でも早い復興を願うばかりです。
18時20頃熊本を出発し、0時20頃鹿児島に到着しました。渋滞でした。

4月21日・宅配支援活動

無店舗事業本部 坂元広之

4月14日(木)夜から発生している熊本地方における地震災害支援のため生協くまもとの配達同乗を4月21日(木)の1日のみでしたが配達同乗での支援活動をしました。

生協くまもとでの朝礼支援にお伺いした支所は「新熊本東支所」という支所です。
朝8時集合でしたが、7時過ぎから積み込みを行っていました。
生協くまもとのみなさんから概況と本日の同乗コースの説明を受けました。昨日までの配達状況も説明いただき、配達先でも避難されている組合員さんが多く、伺っても不在で商品は持ち帰ってくる場合が多く、ただその際もお一人ずつ電話で確認し、返品の際は一部商品でなく、その方の全商品を返品処理対応している状況などお聞きしました。
生協くまもとの職員の方から何人かお話しましたが「車中泊5日目ですよ~」や「風呂に5日入っていなくて、昨日やっと水道が復旧して頭を水で洗って…」といった声をききました。皆さん明るく話してくれましたが、ストレスは相当なものではないかと感じました。
積み込み終了後、篠原支所長のあいさつで朝礼を実施。
熊本東支所は、この週から旧熊本東支所が合併されたということで、今週から新しくここに勤務になったメンバーも多く、商品の置き場所やトラックのキーの掛け方など細かい部分も指示されていました。また昨日までの現場状況の報告と職員みんなの頑張りに対してのお礼と、今日の配達の注意事項があり「人命最優先」「無理をしない」ことを話されました。
生協コープかごしまからの支援で持ってきたパンとさつまあげは大変喜ばれ、この朝礼の最後にみなさん数個ずつ配達に持って行かれました。

杉本さんとおっしゃる今年定年予定の方の車に配達同乗させていただきました。
配達の途中はう回路でもこのような状況でした今回配達コースは被害が大きかった西原村から南阿蘇へ抜けるコースの同乗でした。
最初の班に到着するまでにすでにいくつかの道路は寸断され、通行止めとなっている箇所があり、その都度う回しての配達となりました。
全66か所でしたが、商品をお届けできたのは3割くらいで、ほとんどの荷降ろし場は何らかの被害を受けていました。
全壊した家屋(荷降ろし場所)も多くありましたが、ヒビが入った家や「何とか住める状態」と話された組合員さん宅も多くありました。
避難され誰もいなくなった班や、個配の組合員さん宅でも、杉本さんは組合員さんへ携帯で「お届けしてよいか」「返品で構わないか」の確認をされていました。
生協へ登録している電話番号が携帯電話で、すぐに連絡がつく方が多かったのですが、連絡先が自宅の電話番号のみの組合員さんにはなかなか連絡がつかず、商品を持ち帰るしかないケースも多かったです。
西原村での配達で、在宅されていた組合員様からは、商品をお届けすると大変喜ばれました。この状況で生協が来るとは思ってもいなかったとのことで、「これからどうしようと思っていた」「近所の店も潰れたし本当に助かります」という声をいただきました。
杉本さんは会えた組合員さんに「けがは無かったですか?体調はどうですか?」と必ず声をかけ、その方の健康状態や家屋の状況、また同じ班で避難されている方の状況を聞き取っていました。
被災地の様子中には奥様は避難所に避難され、ご主人だけ家に残っている組合員様もいらっしゃいました。その方によると「空き巣が入ったという情報を聞いたので、家は鍵がかからないし夜は余震が怖いので車で眠っています」とのことでした。
午後の配達地域の南阿蘇に向かいましたが、阿蘇大橋の崩落により山越えのう回ルートで行く形になりました。
南阿蘇は配達地域が広く、お伺いした河陰地区の被害は、午前中に配達した西原村に比べると大きくはなかったですが、雨がひどく、土砂崩れを警戒し30分~1時間おきに鳴る警報と、地域によって避難指示の放送が響いている中での配達でした。
多くの方はTVでも報道されているように、役場と中学校の体育館に避難しているようでしたが、在宅されている方からは「どうやってきたの?」「道は繋がっていたの?」「来てくれてありがとう」の声をいただきました。杉本さんは同じくお一人お一人の状況を聞き、「がんばりましょうね」と励ましながら配達していきます。
信号機も付いたり、消えたりで、道路を走っているのは自衛隊とパトカー、消防車と生協のトラックといった状況でした。
また南阿蘇は観光地的な感じの町で、別荘も多い町で、商店街のようなところも少なく、加えて停電となると、利用されている組合員さんはまだ商品のお届けができますが、組合員で無くあまり被害のなかった方は、当面の食料などどうしていくのだろうかと考えながらの配達でした。
配達は16時過ぎに終わり、また山のう回路を使って帰着しました。
帰りの車中でお聞きしたのですが、杉本さん自身も熊本市内の自宅マンションが、地震で天井から水漏れがひどく近くの中学校に避難したとのことでした。
ただ、そこも定員オーバーで出て行くことになり、今は別の所に避難しているそうです。その移動した場所も多くの方が避難されていて、配達をおえて夜遅くなると避難所のドアを開けるだけでも、年輩の方などが目を覚ますのが申し訳なくて、結局車で寝泊まりしているとのことでした。
支所に帰着後にお聞きしましたが、熊本東支所の職員のうち8割は被災し、いわゆる車中泊をしている環境でした。
余震がひどく、家に入れないため着替えを持ってきておらず、杉本さんも今日の配達でずぶぬれになった服を「明日もこれ着るんだけどな~」といいながら配達されていたので、皆同じような状況での配達でした。
生協くまもとのチーフの岩下さんから「厳しい環境だけど、かごしまさんやエフコープ、ララコープと、知っているメンバーがこうして来てくれて、本当に力が出ます」と言っていただいたのですが、皆さんがおかれている状況の中、正直何もできなかったので恐縮でした。

今回、支援ということで参加させていただきましたが、参加して職員の皆さんがこれほどの環境の中で、組合員さんを気遣い元気に頑張っている姿に逆に力を貰った感じでした。
支援も日や週を追うごとに状況も変化し、都度必要な物資など変化していくかと思います。ただ今回だけに終わらせず、熊本の皆さんが1日でも早くもとの生活に戻れるよう支援がこれからも必要だと改めて感じました。

4月21日・宅配支援活動

無店舗事業部 鹿屋センター 堀田 英樹

4月21日(木)午前0時、今回の地震で被災された生協くまもとへの配達同乗支援に出発致しました。
出発した時間帯が深夜ということもあり、渋滞もなく午前3時過ぎ頃には熊本東支所に到着しました。
途中、とにかくコンビニ、道の駅、スーパーの駐車場やちょっとした空き地には熊本ナンバーの乗用車が所狭しと駐車してあり、おそらく自宅には入れず車の中で休まれている地域住民の方の人数の多さに驚いたのと同時に、報道で出ていました避難所へ避難をされている人数は、直接避難所へは避難をされていなくとも、車中避難の方たちを含めると、報道の数の比ではないのではというのを強く感じました。
被災地の様子熊本市内や配達同乗をした阿蘇市内のいくつか立ち寄ったコンビニでは、煙草についても「お一人様1箱限り」という貼り紙も目立ちました。停電や断水の影響か、コンビニをはじめ多くのお店の休業も大変多く見受けられました。
午前7時前に熊本東支所で地震の後からの熊本市内や職員、生協の建物の状況のお話しを聞かせていただきました。
積込みは午前8時過ぎに終了し、朝礼に参加。私は阿蘇市内を配達されるサカモトさんのトラックに同乗しました。当日は普段使われている道路が通行止めという事で、迂回して約1時間程かけて配達地区に到着しました。
サカモトさんと配達に伺いました地区は、全て大雨警報と土砂災害に対する避難勧告、避難指示が朝から出ており、ほとんどの(組合員さんだけでなく)地域住民の方もお見かけする事はありませんでした。
また前夜、熊本入りをした時間帯は辺りも暗く気が付きませんでしたが、屋根瓦の家はほとんど全てと言ってよいほど、瓦はずれたり、落ちていたり、当日は大雨という状況もあり、ブルーシートが屋根に被せられている家が非常にたくさん見受けられました。
配達時にはお一人だけ組合員さんとはお会いできました。
13時30分頃まで通常通り配達しましたが、商品のお届けをさせていただいたのは、サカモトさんの判断で「注文書が準備されている」か「前週の空箱がいつもの場所に準備されているお宅のみ」とし、40班中8か所のみお届けをしました。自衛隊の方から「避難指示が出ているので立ち入りは遠慮して欲しい。」とトラックを停められ、一旦避難指示の出ている地区を離れ、残りの13班については電話で「商品のお届けが可能かどうか」の確認をしました。
しかし午後からは配達は出来ず、隣の地区の別の職員さんの配達の応援に途中から合流して支援をしました。
配達のトラックこちらの地区は、ほぼ組合員さんと通常通りお会いできたとの事で、ひと班を除いてほぼ全て配達を行う事が出来たようでした。合流した後8班配達を支援させていただきました。
17時過ぎ頃配達は全て終了しましたが、熊本東支所への帰路がほぼ全て通行止めという状況になり、迂回につぐ迂回で約3時間程かけて支所に戻り、支所へ帰りついたのは20時をまわっていました。
今回1日のみの支援で鹿児島に戻ってきましたが、熊本の地震の被害は、報道で見る以上にひどく、大変な状況がまだまだ続くのではという感想を持ちました。
私たちに出来る事は限られてはいますが、今後も機会がありましたら私自身が先ずは継続して支援に携わりたいと感じました。

※レポートは内部報告用文章を本人の確認のもと編集部で若干の加筆修正をしています。

 

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