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歴史を知ることで平和の大切さを改めて実感しました~奄美大島で戦跡めぐり

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奄美事務所では1月13日(月・祝日)に、奄美戦跡めぐりを開催し、地元の組合員の5組11人が参加しました。
今回の戦跡めぐりでは、奄美大島南部の「古仁屋小学校の奉安殿跡」「古仁屋高校の奄美大島要塞司令部跡」「高知山展望所」「手安集落の武器弾薬庫跡」を回りました。
 
古仁屋小学校 奉安殿
町立古仁屋小学校の校庭に残っている「奉安殿」です。当時、中には「御真影(天皇・皇后の写真)」がおさめられており、登下校の際には最敬礼が求められていました。年月が経っていますが、しっかりとした建物でした。
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戦後、GHQ(占領軍総司令部)により「奉安殿」は廃止。建物の多くは解体されましたが奄美大島ではほかの小学校にも残っているそうです。
戦後すぐに奄美大島はアメリカ軍の占領下にありました。参加者からは「そんな中でなぜ奉安殿が残っているのか?」という疑問が出されていました。
 
古仁屋高校  奄美大島要塞司令部跡
現在は古仁屋高校になっていますが、戦時中はここに軍司令部が置かれていました。
高校入口に司令部跡を示す石碑が建っています。
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明治のころから、古仁屋は軍港として開発され、南方戦線の重要な拠点となっていました。そのため戦時中は重要拠点として攻撃の対象になり近くに砲弾跡が残っています。
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当時の司令部は頑丈なコンクリートの外壁で囲ってありました。現在でも一部外壁が残っており、住居等の外壁として使われています。コンクリート壁にも砲弾の跡が見られます。
 
高知山展望所
ここの展望所から大島海峡を一望できます。古仁屋周辺、加計呂麻島を一望できます。
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非常に入り組んで、攻撃を受けにくい地形になっているため、大島海峡周辺に様々な軍事拠点が作られ、先に訪れた奄美大島要塞司令部も、戦局が厳しくなるとこの高知山に場所を移したとのことです。
現在は高知山に展望所が作られ、観光スポットとしても有名です。
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訪れたのは1月でしたが、周辺のヒカンザクラが見ごろになっていました。しかも近くの水たまりには「オタマジャクシ」も!?参加者のみなさんも写真に夢中になっていました。
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「ずっと奄美に住んでいるけどこんな場所があったなんて知らなかった」とおっしゃる方もいました。
 
手安集落 武器弾薬庫跡
手安集落にある「武器弾薬庫」を訪問。
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昭和5年に完成、年数がたっていますが頑丈な建物でした。現在は近くに自動車学校や民家がありました。
当時はここが弾薬庫であることは周辺の方には知らされていなかったようで、戦後、弾薬を処分する際に初めて知ったそうです。ちなみに戦後、弾薬は近くの海に捨てられたとのこと。
弾薬庫内は電気が通っており、見学しやすくなっています。
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構造としては、20メートルほどのトンネル状となっており、その奥が弾薬庫になっています。弾薬庫の外壁は耐久、湿気対策のため2重構造になっており、当時としては最新鋭の弾薬庫だったことがうかがい知れます。
 

参加者の声

・参加した子どもがよろこんでくれたのはよかった。
・戦跡だけでなく、高知山展望所のような場所を組み込んだのはよかった。次回もこういった場所を組み込みたい。
・勉強になった、奄美に住んでいるが、こういった場所、また歴史について学ぶことができた。
・次回は「加計呂麻」の戦跡めぐりに行ってみたい。子どもがいると活動が制限されるので平日開催もいいかも。
・奄美では自衛隊の基地が建設されて、より戦争が近くなったことを感じる。
・こうした歴史を知ることで平和の大切さを改めて実感します。
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